僕が医師になった経緯⑤:MWC開業
1999年4月親しくしていただいていた福岡の詠田由美先生が博多で不妊生殖医療専門のクリニックを開業されました。僕は自分では開業する気持ちは全く無く、当時勤務していた鹿児島市立病院で生殖医療、内視鏡医療、周産期医療、婦人科診療と総合的に働いて行きながら鹿児島市立病院ではセクションとしてまだ認められていなかった生殖医療部門を確立することを目標に頑張っていました。ただ、ようやく4人のDr、培養士でグループの基礎を築けてきたなと思っていたところに、後輩のDrの開業が相次いて決まったことで少し後退したことと、当時の鹿児島市立病院の研修体制の中に生殖医療部門を加えることをずっと訴え続けていたのですが各セクションでの研修時期、研修の取り合いみたいな事情に追いやられてしまって全く構想が受け入れられず(今でも一緒で現在は鹿児島市立病院には生殖医療部門は消滅してしまいました)、モヤモヤした日々を過ごしていました。そんな中での詠田先生の開業。かなり刺激を受けました。7月に再度見学に行かせていただき、そこで詠田先生とお話しするうちに開業への意欲が急激にムクムクと湧き上がってきたのです。鹿児島市立病院でのフットワークの悪さ、自分のやりたい診療への限界をどんどん感じてきていたこともあり、そこから開業へ向けてどんどん話が進んで行きました。開業へ向けて断腸の思いで諦めたことの一つが「お産」です。僕はお産が大好きで自分の担当の患者さんのお産は全部一人でやっていて介助も最後の取り上げも助産師にはタッチさせず全部自分でやっていました。助産師さん達からは密かに「神の手」と呼ばれていました。あとは内視鏡手術です。南九州で初の内視鏡手術を手がけてから、外科も手術を見学に来たりしていました。(その後外科の方が急速に進歩していきましたが)不妊生殖で開業するならこの二つを切り捨てないといけないというのが一番の苦悩でした。でも、割り切らないと進めないということでとても無念ではありましたがお産と内視鏡手術を捨てて不妊生殖医療一本でという気持ちに切り替えました。開業を決めてからは早かったですね。7月下旬に気持ちを決めて、そこから場所選定、設計、さらに資金繰りとあり、翌年2000年3月には開業の運びとなりました。この開業に向けてのチャンスを授けてくださった詠田先生にはとても感謝しており、当院のスタッフも定期的に研修に行かせていただいています。開業後数年は詠田先生と夜な夜な電話でお互いの愚痴や相談を聞いたり語ったりしていました。開業日は3月6日、期待もありましたがそれより大きかったのは患者さんが本当に来てくれるのか?という心配の方が大きかったです。初日20名程度の患者さんに来ていただいたのは良かったのですが、「こんなんでお金もらって本当にいいんだろうか」という気持ちでいっぱいでしたね。当初5人でスタートしたMWCも紆余曲折あり、現在では26名程度のスタッフ数になっています。20年長かったようで短い。ただ20年ということは最初に卒業して出産した子供が成人したんだなぁと思うと結構長かったのかなと思います。これからも地域の医療のため、中央での医療レベルを地方にも同じレベルで届けられるようにスタッフとともに頑張って行きます!