広島、長崎に想う
日本人にとって忘れてはならない8月6日、9日。
一瞬にして数十万の一般市民の命を奪い、その後も被爆者として病み、亡くなった方も更に数十万。有史以来これ程の残虐な殺戮は無い。然るに、彼の米国に於いてはその残虐非道性、後遺症については、戦争に終止符を打った、自国の犠牲者数を止めたという賞賛の陰に隠されて正しくは伝えられてこなかった。想像力を働かすことも出来ないほどの情報統制がとられてきたのか、そもそも想像力さえ無かったのか。今、それが少しずつ変わりつつあるようだ。米国の若者の半数が原爆投下に疑問を持っているらしい。それでも半分はまだ、以前と同じ考えを保持している。万が一、米国に原爆が投下されていたらどうだろう。全く異なる見解、考えが米国に産まれていただろう。日本人は敗戦国という負目と、生来の大人しさ、控え目が災いして声を挙げて来なかった。もう、いい加減第二次世界大戦の戦勝国、敗戦国の線引きから離れた国際関係を築いてはどうなのか。長年の負け犬根性が、言いたいことも言えない国にしてしまっているような気がする。戦争を終わらせるとかの綺麗事では無く、原爆投下が如何に罪深いか、真に犯罪なのか、それを世界が一律に認めるべき、というか認識して愚かに慟哭すべき時期に来ていると思う。広島、長崎を決して忘れてはいけない。